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エッセイ・エスプレッソ


第27話 エスプレッソのテイクアウト


 週末の昼下がり。順番を待つ僕の前では数名が、壁のメニューを見ながら何を頼むか考えていた。

 このチェーン店ではエスプレッソのテイクアウトを許さない。繊細なエスプレッソは抽出後すぐに飲まなければ風味を失ってしまうし、紙コップのにおいも良くないので、必ず店内でデミタスで飲んでほしい、という品質へのこだわりには好感がもてる。
 しかし、風味が落ちることを承知の上で、なおテイクアウトしたい人もいるだろう。客がどうしてもと頼んでも、店員は規則だからと断るのだろうか?


*  *  *

 病床の息子に向かって母親は尋ねた。
「午後の手術の前に、何か飲みたいものはある?」
 息子は半年前とは較べものにならない弱々しい声で、それでも精一杯の元気さを装って答えた。
「そうだなあ、エスプレッソが飲みたいな。ほら、あの街に行く度に立ち寄っていた、地下鉄の駅を出てすぐの、赤い看板のあのお店。懐かしいなあ。退院したら真っ先にまた行きたいなあ。」
 彼自身が、一番よく分かっていた。…退院どころか、これが最後の一杯になるかもしれないことを。
 病院を出た母親は、地下鉄の座席で涙を流し続け、ようやく目的の店にたどりついた。
「エスプレッソを一杯、持ち帰りでお願いします。」
 アルバイトとおぼしき店員は、笑顔のままで朗らかに、
「大変申し訳ありません、お客様、当店ではエスプレッソは店内のみの販売となっております!」・・・

 控え室にいた店長の私は、バイトの店員に呼び出されて事情を知った。
 このチェーン店ではエスプレッソのテイクアウトは認めていない。客の希望に応じて現場の判断で勝手な対応を行いだすと、チェーン店全体のレベルが低下し、結局は信頼を失ってしまう。本部に連絡して例外を承認してもらうか。いや、この母親には本部での意志決定を待っている時間はない。しかし、ここで規則通りに断ることが当店のエスプレッソに対するこだわりなのか。イタリア人の創業者だったら、決してここで杓子定規に断ったりしないのではないか。いや、私にも妻子がいる、ここで一時の感情に任せて後で本部の処分を受けることになったらどうするのか…。

 ふと妙案をひらめいた私は、カウンターに立って母親に語りかけた。
「お客様、大変申し訳ありませんが、当店ではエスプレッソは店内のみの販売となっております。しかし、お客様はいつも当店をご利用していらっしゃるようですので、今日はこの、当店のロゴ入りの紙コップとリッド(蓋)をサービスでお一つ差し上げます。どうぞ、店内でお飲みになるエスプレッソを注文なさって、後はごゆっくり、ご自由にお過ごし下さい。」

 心の中でガッツポーズをとりながら、さりげなく悠々と控え室に戻ろうとする私。しかし、感謝の言葉の代わりに母親が発した言葉は思いがけないものだった。
「あの、お気持ちは有り難いのですが、この店のエスプレッソを紙コップに移しても、クレマがデミタスの内側にリング状にしっかりと残ってしまって紙コップに入らないと思うんですけど。ただでさえテイクアウトで風味が落ちるのに、最初にクレマがごっそり抜けてしまうのでは息子がかわいそうです。どうか、マシンから直接紙コップに落として頂けませんでしょうか…。」

*  *  *


「お客様。…お客様!」
 ふと気付くと、店頭で順番を待つ列は僕の番になっていた。


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