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エスプレッソに出逢うまでコーヒーを飲む習慣がなかった僕は、モカだのキリマンジャロだの言われても違いが分からなかったし、なぜブルーマウンテンがあんなに珍重されているのかも分からなかったし、サイフォンだのネルドリップだのといった道具へのこだわりにも余り関心がなかった。 そんなある日、米国のある東洋料理店で出てきたお米が、品質といい炊き方といい、余りにもまずくて閉口した。しかも周囲の米国人客はそれを普通に食べていた。この人達は美味しいお米とまずいお米の違いを知らず、お米ってこんなものだと思って食べているんだろうなあ、かわいそうだなあ、…と僕は思った。 そういえば日本では、皆コシヒカリだのササニシキだの銘柄にこだわり、魚沼産のコシヒカリが珍重され、炊飯器も毎年のように新たな工夫を凝らしたものが登場していた。自炊をしていた大学時代には僕も結構お米のとぎ方や浸水時間を気にしていた記憶がある。しかし、当時の僕には「お米にこだわっている」という意識はなかった。単に美味しいお米を食べようとしていただけである。 しかし、いま日本を離れて冷静に考えると、このお米へのこだわりは、コーヒーへのこだわりと同じものなのかもしれない。 いま僕の隣に座っている米国人に「お米は精米後早めに食べた方が美味しい」とか「新米を炊くときには水を少な目にした方が美味しい」と言っても、おそらく理解できないだろうし関心も持たないだろう。美味しいお米に出逢って感激したことがないからである。 同じように、僕がコーヒーへのこだわりに関心がなかったのも、美味しいコーヒーに出逢ったことがなかったためかもしれない。いや、コーヒーにこだわっている人たちも、「こだわっている」という意識はなく、単に美味しいコーヒーを飲みたいと思っているだけなのかもしれない。お米について隣の席のアメリカ人がかわいそうに思えるように、コーヒーについては、かわいそうなのは僕の方なのかもしれない…。 僕がエスプレッソに出逢ったのはそれから間もなくのことだった。その美味しさに感激して以降、自宅でも飲みたくて、豆を買い換え、マシンを買い換え、日本に帰ってもこの感激が止まらず、周囲の知人にも紹介しているうちにホームページまで作るようになり、現在に至っている。ドリップコーヒーは余り飲まないが、コーヒーに対する種々のこだわりについても分かるようになってきた。 しかし、ただ一つ分からないことが残っている。何も知らなかった昔の自分と、豆やマシンや関連書籍に出費の絶えない今の自分、かわいそうな状態にあるのは一体どちらなのだろうか…。